第三話 青・我儘め 女官に言われ、やってきた私を持っていたのは、陸遜の黒い笑顔だった。 部屋の奥には見知らぬ女の姿がある。こちらを見る姜維も陸遜の表情の意味が分かっているのだろう、作り笑いをしていた。そんな目で私を見るな、馬鹿めが。 「私はこの少女を見なければなりませんので、私の仕事をすべて司馬懿どのにお任せします」 「なっ……!? 貴様、君主だろう!?」 こんな姿をしているが、この陸遜、この国の君主である。 「私の仕事も半端ではないのだぞ!」 それは言いつけた貴様が良く分かっているだろう! だが、陸遜は平然とした顔で『解っています』と答えた。やはり食えぬ男だ。 「ですが、司馬懿どのならその程度の事は出来るでしょう?私は無理なことを頼んだりはしませんよ」 「ふん……。なぜそこまでしてその小娘を気にかける? ただの気まぐれだなどとは言わぬであろうな」 陸遜は表情を真面目なものに戻した。そして、目を寝台の女へと向ける。 「星の動きを見るのは司馬懿どのには及びませんが、そんな私でも彼女には何かを感じました。どうぞ見てきてください」 言われ、私はすでに寝台の近くにいる姜維の隣に立ち、女の顔を見た。 外見は珍しくもない少女の姿だが、確かに、この女は只者ではないようだ。 「ふむ……なるほど。面白い娘だな」 才能があるかは分からぬが、この女は天をも動かすほどの力を持っているようだ。 「我が国の繁栄の為にも、この女性は必要な人物だと思います。なので、司馬懿どの」 既に近くまで来ていた陸遜がそう言い、私の方を向く。その顔には、奴の作り慣れた微笑が貼り付いていた。 「例の件、やってくれますね?」 「……まぁ良かろう。天下を掴む事に比べれば、取るに足らぬ」 「ありがとうございます」 ふん、配下に礼を言う君主など、貴様の他に知らぬぞ。 見れば陸遜は姜維にも同じように何かを言い、礼を言っていた。 あれから、何日経ったと思っている!! 文句を言いに例の部屋へ行くと、そこには陸遜と女しかいなかった。 「司馬懿どの。仕事はもう済んだのですか?」 部屋に入った私を見る事なく、背を向けたまま陸遜が言う。 「ふん、私を誰だと思っている」 「そうですね」 笑うような言い方をし、陸遜は少女の顔を覗いた。 私も、座る陸遜の側まで行き、その具合を見る。 「顔色は悪くなさそうだな」 「ええ、医者に聞いても眠っているだけとの事で」 すぐに目覚めるものだと思っていた女は、いつまで経っても目を開けはしなかった。 姜維がこの女を拾ってから、もう二日になる。お陰で私は陸遜の仕事も重なって、休む暇もろくに取れぬ。 「町では『眠り姫』の噂で持ちきりだと、姜維が言っていたぞ」 「『眠り姫』ですか。……素敵な名前をつけましたね」 その名が面白かったのか、陸遜はふふふと笑っていた。笑っている場合ではないだろう。 「……漢中の周瑜どのは、何と言っていましたか?」 「あまり好ましくない返事だったな」 「そうですか。……いえ、そうでしょうね」 今、我が国は隣国の周瑜の所と思わしくない状態にある。 原因は、言うまでもなくこの女だ。 「せめて戦が始まる前に、この方が目覚めてくれれば、流れを呼びよせることが出来るのですが……」 その本人は、今の状態など全く知らぬ様子で、規則正しい寝息を立てていた。 さて、この女、我が国にとって勝利の女神となるか、それとも疫病神となるか……。 変化があったと聞いたのは、その次の日だった。 仕事を済ませてから、私も陸遜と眠る女のいる部屋へと行く。 入った私が見たものは、寝台で眠る女と、それを眺めている陸遜の姿だった。 「変化があったと聞いたのだが?」 「ええ、寝返りを打ちました」 後ろから声を書けた私に驚く事なく、陸遜はサラリとそう言ってのけた。 言われて見れば、上を向いていた女は陸遜の方……こちら側に顔を向けている。 「それだけか?」 「小さな事でも、ないがしろにしてはいけませんよ。いつ目を覚ましてもおかしくはないのですから」 そう陸遜が言った後、女が小さな声を上げながら体勢を変えた。仰向けの状態である。 「でしょう?」 こちらを見て、陸遜が微笑みながら言った。 念のため姜維にも連絡しておこうと、陸遜が側にいた女官に命令する。 女官が出て行き、陸遜がまたその女のほうを眺めてしばらくすると、また女に変化があった。 「ん……」 小さく声を上げながら、女のまぶたが持ち上がる。声を出してはいないものの、傍らに座っている陸遜の表情は本当の嬉しそうな顔だった。 やがて、きちんと目を覚ましたらしく少女は辺りを見始めた。 「お目覚めのようですね。気分はどうですか?」 その声に、女は陸遜の――恐らくいつもの、作った微笑をしているのであろう――顔を見る。 「ここは何処? そしてあなたは誰ですか?」 「人に名を聞くなら先に自分が名乗らぬか、馬鹿めが」 私が言うと、女は私を見て一瞬呆けた顔をした。手前にいた陸遜がこちらを見て、笑顔で言う。 「司馬懿どの、この方はまだ混乱しているようですから」 その顔には、青筋と共に『彼女の気分を害して他国にでも逃げられたらどうするおつもりですか司馬懿どの』と書いてあった。 推測でしかないが、恐らく姜維に聞いても同じような答えを返すに違いない。 陸遜はまた女のほうを向き、おそらくは苦笑している。 「彼は口が悪くて、どうぞ気を悪くしないで下さい」 それにはムッと来たが、これ以上何かを言えば逆鱗に触れるだろう。 ……黙るとするか。 「ここは天水城。私は陸遜、字は伯言と申します」 女はそれを聞いて、何かを考えているのか、それとも呆れているのか、妙な顔をしていた。 ふと、部屋の外から足音が聞こえる。 「陸遜どの、目を覚ましたというのは本当ですか!?」 大きな音を立てて、姜維がそう言いながら部屋へと入ってきた。 そもそも、連絡を入れた頃は目覚めていなかったはずだが。 「姜維どの、そんなに慌てなくとも、この方は逃げませんよ」 陸遜に言われ、姜維は落ち着きながら女の方を見て言った。 「ですが、三日も眠っていた方が起きたとなれば、やはり気になってしまって……」 「三日も眠ってた?」 間髪入れずそう言ったのは、先ほどまで眠っていた女だった。目を見開き、驚いた声をして陸遜に聞いている。 陸遜は頷き、この女を拾った経緯について話し始めた。 名前変換が一つもなかったページその2。 以下同文。(爆 タイトルの色が一巡したら一話分、と考えたほうが長さ的にも内容的にも合っているかもしれません。 二話に戻る 四話に進む |